
湯煙の向こうに、あなたは何を見るだろうか。
かつて銭湯は、生活を支えるインフラであり、人と人が出会い、語らい、つながる場所だった。裸のつきあいが当たり前にあった時代。その記憶は、いま静かに消えようとしている。
ライフスタイルの変化、制度の壁、後継者不足──銭湯は今、存続の瀬戸際に立たされている。
しかし、それでも火を絶やさぬよう、湯を沸かし続ける人たちがいる。
連載企画「銭湯VS」は、時代に抗いながら銭湯を守り、再生させようとする人々の声を通して、銭湯の「今」と「これから」に迫る。
銭湯は、いったい何と戦っているのか。その戦いの先にある未来とは──。
地域と銭湯の“縁”を編み直す人たち
銭湯が一つ消えるとき、ただ湯舟がなくなるだけではない。
その場所に集っていた人々の関係、まちの記憶、地域に根づいた営みの多くが、静かに、しかし確実に消えていく。
「せんとうとまち」は、そんな“まちの灯”を絶やさぬために活動を続ける団体だ。前身は、建築家や地域活動者が中心となって文京区を拠点に行ってきた市民活動。地域の銭湯の廃業に直面した経験から、「銭湯を残す」ことの意味を単なる建物保存ではなく、人やまちとの関係性を再構築することだと捉えるようになった。
2020年の法人化以降、北区の滝野川稲荷湯をはじめ、全国各地の銭湯の再生支援、制度提言、まちづくりを実践。稲荷湯では、国の登録有形文化財化や、世界的文化財保護団体との連携を果たし、銭湯に隣接する築100年超の長屋を再生。いまでは誰もがふらりと立ち寄れる湯上り処「稲荷湯長屋」として、地域のサロンとなっている。
“銭湯を残す”とは、“まちに繋がる場所”を未来へ手渡すこと。
建築・制度・人の暮らし、それぞれの視点を編み直しながら、せんとうとまちは、銭湯とまちの持続可能な関係を育て続けている。

銭湯が“ただのお風呂”でなくなる瞬間
「銭湯をまちのインフラとして見直すべきではないか。そう思ったのがはじまりでした」
そう語るのは、「せんとうとまち」代表の栗生はるかさん。建築を学び、都市空間や公共施設の在り方に関心を持ってきた同氏が、なぜ銭湯というフィールドに足を踏み入れたのか──その背景には、まちを歩き、地域の風景に耳を澄ませる日々の営みがあった。
「最初は、“地域の見落とされがちな魅力を掘り起こして伝えたい”という思いから始めたんです。そこで出会ったのが銭湯でした。地元の人にとっては当たり前の存在なのに、外から見るとものすごくユニークで、風景や人の営みと一体になっていました」
特に栗生さんの心を捉えたのが、銭湯という建築そのものの面白さだった。寺社建築を思わせる“宮造り”の屋根、凝ったタイルやペンキ絵、番台から脱衣所を一望できる設計。一見すると目立たないが、実は建築的にも文化的にも高い価値を持つ空間だった。
「こんなに立派で、しかも地域に開かれている建物が、あっけなく解体されていくことに衝撃を受けました。何とかできないのか、どうすれば残せるのかって、そこから考え始めたんです」

そうして始まったのが、「保存・再生・記録調査」という多角的なアプローチだ。
単に「壊さないで」と訴えるのではなく、文化財指定の働きかけや、国際的な支援団体との連携、空き家・空き地の利活用と組み合わせた再生プロジェクトなど、現実に即した手段を模索していく。
同氏が仲間とともに立ち上げた「せんとうとまち」は、銭湯を単なる入浴施設ではなく、地域の居場所やコミュニティの結節点と捉え、建築的価値も含めた「まちの資源」として再評価する視点から活動を展開している。現地でのフィールドワーク、経営者との対話、制度への提言、アーカイブ資料の整理──その一つひとつは地道で時間のかかる仕事だ。
「でも、銭湯ってすごいんです。本当にいろんな人がいて、会話が生まれて、誰でも受け入れてくれる雰囲気がある。そこに可能性を感じていて」
銭湯は、誰のものでもなく、誰でも入れる場所。地域で孤立しがちな高齢者、家庭に居場所を感じられない子ども、仕事帰りにほっとしたい大人たち。そんな人々にとって、銭湯は機能としての“風呂”を越えた“まちの拠点”として息づいているのだ。
