「子どもがいる銭湯」は、未来の銭湯の姿そのもの
和治さんと健輔さんが目指しているのは、「誰もが気持ちよく過ごせる銭湯」だ。特に意識しているのが「子どもたちの存在」だという。「やっぱり、子どもたちがキャッキャ騒いでる風景って、いいんですよ。銭湯がにぎやかになるのは、正直嬉しいです」と和治さんは目を細める。
ただし、にぎやかさは節度あってこそ。和治さんは、ときに“イエローカード”を出して注意を促すという。「言葉通り、黄色いカードを作ってあるんです(笑)。子どもが他のお客さんに迷惑かけてたりしたら、“ハイ、イエローカード!”って。子どもも笑いながら反省してくれる。あれはいいコミュニケーションになってますよ。ちなみにレッドカードもあります(笑)」

また、大人が自然と注意をしてくれる雰囲気も、守っていきたい文化だという。「昔の銭湯って、近所のおっちゃんが“こら、静かにしろ”って普通に言ってたでしょ? ああいう空気、残しておきたいんです。知らない人同士でも“場を共有する”っていう文化だから」
さらに、会計についても、子どもには“現金”を推奨している。「最近はキャッシュレスが主流ですけど、子どもには100円玉握りしめてきてほしいですね。お金を出して、おつりを受け取って、“ありがとうございました”ってやり取りの中で学ぶことがたくさんあると思うんです」
子どもたちが銭湯で学び、育ち、また戻ってくる。そんな循環をつくることが、神明湯の目指す未来のひとつだ。

銭湯は今、何と戦っているのか──湯煙の向こうに見えたもの
取材を終え、栗原さん親子の背中を見つめながら、私は自分に問い直していた。銭湯は今、何と戦っているのか──と。
老朽化、光熱費、後継者不足。表面的な課題は、数えればいくらでもある。けれど、神明湯に流れていた空気は、それだけでは説明できない何かがあった。神明湯の取り組みは、単なる文化の保存ではない。過去の営みに新たな命を吹き込む、“再生”の物語だ。
それは、“時代の無関心”や“町の記憶の風化”との静かな戦いなのかもしれない。目の前の便利さだけが選ばれ、子どもたちが現金を握る経験すら失われつつあるこの時代に、「人と人が顔を合わせる場所」として銭湯を守り抜くという姿勢は、見過ごされがちだ。
また、もうすでに空き店舗となった商店街に、それでも湯を沸かし続ける理由。それは、「銭湯がある風景」こそが、この町にとっての物語だからだ。「なくなるのが寂しいから残したい」──その静かな感情を、地域再生という大きな構想へ発展させ、実現していくためのプロセスを踏むことは、ときに心と身体をすり減らすこともある、平坦ではない営みだろう。
それでも栗原さん親子は、毎日、ただ湯を沸かし、扉を開ける。イエローカードを手に笑い、番台に座り、100円玉を受け取る。そのひとつひとつが、「次の世代に何を残すか」を問いかける静かなアクションだ。
銭湯が何と戦っているのか。きっとそれは、“時代そのもの”や、“諦め”、“忘れられていく風景”、そして名もなき誰かのために続けるという、“祈りのような営み”だ。
その湯煙の向こうには、静かな覚悟が、確かに立ち上がっていた。
神明湯
東京都東大和市新堀1丁目1432−59